« 豚肉の味噌炒め | メイン | わかみやの郷 災害へのそなえ 見直し »

2016年4月17日 (日)

熊本大地震 被災された皆さま 心よりお見舞い申し上げます

連日の大地震の報道に言葉を失う毎日です。

父母のふるさとである熊本。水俣で生まれた私も、被災の現状が信じられません。佐賀の妹に14日の真夜中電話するとおびえた声で「大丈夫…じゃないよ…今から避難しようかと相談中よ。人形ケースが床に落ちてガラスが粉々に…」熊本から離れた佐賀でさえそんな被害が、と思うと、どうか無事でいて、と祈らずにはいられませんでした。

思い出すのは5年前の3・11です。

凍てつく夜、一晩中、地震警報の音に何分おきに飛び起きる。ラジオから『一つの町がすべてなくなっております』と想像もできないアナウンサーの言葉…横になっては目を見開いて「明日の朝」に思いめぐらす。「寒い、寒い…」Aさんの嗄れ声に、ありったけの毛布や布団をかけても凍えそうに冷たい闇夜。いつになったら電気が点くのだろう。もし何日も停電が続いたら…。朝食はどこまで準備ができたのだろうか…。朝になったら反射式のストーブを集めて暖を取らなければ…。ひっきりなしの地震警報音。

ベッドの下に靴を置き、コートやアノラックを着たまますぐ逃げ出せるようにして丸くなって眠る利用者さん達の姿を見て回る。すぐ逃げるって…どこに?どうやって?この凍てつく寒さの中を?歩ける人などいないのに…。第一、今、昼間のあの地震より強い地震が来たら、この建物は大丈夫だろうか?車で逃げることって出来るんだろうか?

車をすぐに出せるように3台並べて路駐させ、ありったけの知恵を絞って手順を考える。運転手は、1,2,3…。乗せる順番はAさん、Bさん、Cさん…。行く先は高台のかんぽの宿。最後まであきらめたらダメ、利用者さん達を守り抜く使命がある、とブルブル震えながら気力を奮い立たせる。絶望感と孤独の中で、心臓が早鐘のように耳の中で鳴り続けた夜だった。

しらじらと明けていく12日の朝、自宅で調理したスープを持ち込んで朝食を整えてくれたマロンさん(調理員さん)達の活躍が、涙が出そうに嬉しかった。

マロンさんは、今日もわかみやの郷のお食事をを支えてくれています。

Img_2224_2 豚肉の生姜焼き

茄子とがんもの煮物

ほうれん草のお浸し

Img_2227

Img_2226

Img_2229 お食事風景

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。