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2020年4月 5日 (日)

鶏そぼろご飯

Img_1135 鶏そぼろご飯

里芋の煮っころがし

きゅうりともやしの酢の物

オレンジ

4月4日(土)の昼ごはん

Img_1129 すみません、昨日は小松休みでした。写真はありますがメニューが見当たりませんので

想像で…

ご飯にみそ汁、あきらかにメインは天ぷら、ですね。サツマイモとアスパラでしょうか。天つゆにもみじおろしをたっぷり入れて食べると、うまそうですね。小付けは、どうもうるいに見えますが酢味噌も添えてないので、お浸しと思われます。手前の小皿は野菜の(多分人参とネギ)小刻みを混ぜた卵とじ、ではないでしょうか。デザートはオレンジジュースを使ったゼリー?それとも卵寒天?

以上勝手に想像した4月4日のメニューでした。

4月3日(金)のメニュー

ピーマンの肉詰め

茄子の煮浸し

菜の花のお浸し

プリン

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ヘルパーの頃の思い出

初めてお会いしたのはNさんが88歳頃でした。Nさんはお茶の先生でした。ものをはっきり言う方で担当するヘルパー全員にそれぞれにクレームがつくので、ほとんどの場合新人が行くことに決まっていました。私はその頃45歳ぐらいでした。その方への支援は掃除、洗濯、買い物、調理などの「家事支援」(のちに生活支援と言い方が変わりましたが)でした。

私の家事が我流から少しは支援と呼んでもいいものに変わったのはこの方のおかげです。

食器を洗っている私のそばにいつの間にかNさんが立っていて言いました。「お宅ではいい食器を使っていないみたいだね!」なぜですかと尋ねる私に、食器はこうして扱うものです、と自ら実地で教えてくださいました。音をガチャガチャ立てないで洗うこと、食器籠に置くときにはカチャリとも音はしませんでした。「わたしはこの通り縁のうすい食器しか使ってないから」と…それからは縁が薄かろうが厚かろうが、食器を洗う時に音をたてないで大切に扱うようになりました。

そのお宅では掃除機でなく箒を使って居間の掃除をしていました。パッパッと掃く私の箒を取り上げて箒はこうして使うものです、とみずからやって見せてくれました。箒は畳から離れる事はなく畳の上に集められたごみは空中に舞うこともありません。

あれから25年も経ち勝手に時効だと思っているのですが(日常の支援以外はしてはいけません)、よく「そこに座りなさい」とお茶のたて方も伝授されましたし、ひな壇に趣のある古いお雛様やNさんの父親が横浜から買ってきてくれたという洋人形を飾るお手伝いもさせられました。ただただ美しいとしか言いようのないNさんの女学校時代の古い写真を見ながら「私は女学校の屋根に上って弁当を食べるのが好きだった」「先生からは毎日ごけらった」と楽しそうな思い出話を聞いたりして過ごした時間は、貴重な私の財産です。

あなたは何にも知らないのね、と言いながらいろいろなことを教えてくれたNさん宅へは、間もなく出禁になったらしく、よそのお宅に回されましたがNさんの忘れられない言葉があります。当時新人ヘルパーだったわたしに「あなたはこれから人を束ねていく人になるんだから、今のままじゃダメだね」希望も共に与えるダメ出し。

Nさんは99歳の時スーパーに買い物に行き道路で転倒し、大腿骨を骨折され入院して2週間で亡くなられました。何人も交代させられたあと、私が最後のケアマネとなりました。

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